2014年12月05日

あらしのあと10

プロスぺローは本当は魔法なんか使えなかったんじゃなかろうか。

稽古の最初の段階で考えに考えた末、僕はそう発言した。

今でもそう思っている。



ある明るい秋の朝、松本の駅前の餃子の王将で天津飯を食べていたとき
安奈さんの訃報が飛び込んできた。

信じられなかったけど、稽古場に行ったらみんな口々にしていたし
ネットでもニュースになっていたからどうやら本当のことらしかった。

ナポリ王アロンゾーは嵐にあって息子ファーディナンドと生き別れになる。
顧問官ゴンザーローは王子は生きていると王を励ます。
海に流されて長年恨みを晴らす計画を立てていたはずのプロスぺローは彼らが後悔する様子を受け止め
娘ミランダとファーディナンドがチェスに興じる姿を見せる。

僕らのテンペストでは2人の乗った台車をエアリエルが運んでくる。
軽快な音楽にのって。

死んでしまったと思っていた人がこんな風に目の前に現れたら

想像したら僕は舞台稽古から涙が止まらなかった。

役者としたら失格かもしれないけど。


お別れの言葉が見つからない。
多くの人がそう言った。

言葉を扱う生業なのに大切な時には言葉は頼りにならない。


罪、後悔、復讐、許し・・・
「テンペスト」を説明する言葉は無限にあると思う。

でもそんなことを説明するだけの芝居にどれだけの価値があるんだろう。

ステファノー、もしくは大森さんは終盤こう言う

「物語を終わらせるのは人間の作った知恵だからね」

世界の終わりを見たことがある人なんかいない。

生きている限り世界は終わらない。


プロスぺローは魔法なんか使えなかった。
やりたい放題やって気が済んだ。

僕は今でもそう思う。
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2014年12月04日

あらしのあと9

結局、上演台本が完成しなかった。

「僕らはいつから台本にとらわれるようになったんだろうねえ」

串田さんの言葉通り、台本を解体し、足したり引いたりかけたり割ったり。
最初のうちは書きこんだり差し替えたりしていたけど
後半は「もう覚えたほうが早い!」ってことになって
頭の中の台本を上書き保存する毎日。

いいのか悪いのかそもそも台本に必要以上に書きこむ習慣がないので
僕にとっては苦ではなかったけど
今現在どこまで仕上がっているのか、キャスト以上にスタッフさんはヤキモキしていただろう。


役者から見て素晴らしい演出家が世間一般的にはあまり知られていないことに落胆することがある。
そもそも「演出家」といって世間の人々は何人思い浮かべることができるんだろうか。
まあ別に僕なんかが気にすることじゃないのかもしれないけど。

どれだけ豪華な食材をお取り寄せしても料理人の腕が悪ければ出来上がりは知れたもの。
手元にある食材でどんな料理ができるか最大限の工夫をするシェフのほうが面白いし信頼できる。

「誰になんと言われようと作品と役者は自分が絶対に守るから」

恥ずかしげもなくそう言ってくれる演出家を知っている。
串田さんも稽古初日、

「こんなの『テンペスト』じゃないじゃないか!って言われても大丈夫なように『K』をつけてあるからね」

と楽しそうに話していた。

そんな料理人の食材でありたい。

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台本はできなかった。
でもそれにどれだけ意味があるだろう。
レシピがなくても美味しい料理は出来るのだ。

つづく
posted by Naoki Saitoh at 20:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年12月02日

あらしのあと8

「斉藤さん、編み物できます?」

劇場入りしてから美術&衣装の大島さんから聞かれた。

母親が和裁洋裁が得意なので、
子供のころ気まぐれで教えてもらったことを思い出した。

「できると思いますよ」

串田さんとの打ち合わせで船乗りが暇な時間編み物をしていた、なんて話題が出てきたらしい。
客入れ時間から俳優は自由に会場に出入りすることになっていたので
それぞれお客さんと会話したり、本を読んだり、忘れ物を取りに楽屋に帰ったり。
で、それに交ざって編み物をすることに。

お客さんを盛り上げるトーク力に不安な僕にとってはありがたい。
演出部の目黒さんに一番簡単な編み方を教えてもらいひたすら続きを編む。
たまに絡んできた共演者に相槌を打ちながらひたすら編む。

串田さんは最初から現実的にものを考えるのがきらいなようだ。
できない、と言ってしまったらできるわけがない。
歌や楽器、ダンス、太極拳からサーカスまで
「こうだったら楽しい」という想像力に限界を決めない。
「思うだけなら自由自在」を地で行くような人。

自由劇場の先輩方はみんな楽器が堪能だ。
芝居のために形から入ったらしいが、練習していくうちに
「どうやったらそんなカッコよく演奏できるのか」
とミュージシャンから聞かれるほどになったそうだ。

自分が選べるものは自分が知っているもの。
そのキャラクターがどんな音楽を聞いているのかどれだけ考えても
自分の知っている範囲内でしか選択することができない。
知らないものは知りようがないのだ。

でも人と話したり、探し続けることでその選択肢は無限に広がる。
ムチャぶりに応えたり、どうやったらいいか考えることで出来ることが増える。
これは芝居に限らないかもしれないけど。

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ま、言っても編み物ですからね、
そんなに大げさなことじゃないか。

つづく
posted by Naoki Saitoh at 21:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年12月01日

あらしのあと7

「からかえ、ひやかせ、ひやかせ、からかえ、思うだけなら自由自在」

劇中、大森ステファノーと細川トリンキュローが歌っていた。
ラップっぽく。

自由っていったいなんだーい、
どうすりゃ自由になれるー。

稽古から本番にかけて自由について考えた。
尾崎ばりに考えた。

そもそも串田さんが作った劇団が「自由劇場」だ。
大森さんも真那古さんも片岡さんもみんな自由劇場出身だ。
確かに同じ空気が漂っている。

本番を観に来てくれた同じく自由劇場出身の女優さんは

「私は当時串田さんの考えることしたいことを理解できなかったけど、
 今回の人たちは彼と一緒にいても心を開放できる人たちだと思った。
 そして『自由』は文字にするとどこかへ行ってしまうものなのかも。
 ・・・久しぶりに細胞がものを考える感覚を味わいました」

というありがたい感想を送ってくれた。

自由は自分一人ではつかめない。
一緒にいて心を開かないと体感できないものなのかもしれない。

そしてそれは持続するものではなく、
一緒に探し続けないと消えちゃうんだろうな。



そういえば、歌いだすステファノーとトリンキュローに
島の怪物キャリバンは「その歌はさっき教えてくれた歌とは違う」、と言い返す。

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くそ、シェイクスピアはどこまでわかって書いてんのかな。

つづく
posted by Naoki Saitoh at 21:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記