2013年02月09日

カルメンという名の女14

「点で捉えて質を変えたい」

そう説明されたことがあった。

たとえばホセと彼を取り囲んだ4人の男のシーン。
1対4で交互に動いていくのだが、
相手が動き終わった「点」を捉えてこちら側の動きにつなげていく。

あのときの小野寺さんの言葉を十分に理解していたとは思わないが、
よく考えてみると芝居でも同じことが起こっている。

よく「モメント」とか「モーメント」とか言われるが
ある時点をきっかけに人物の心情が動き
次の行動に影響を与える瞬間のことだ。
(僕も正確に習ったわけではないのでこの説明が正しいか定かではない)

要するにカチーンときたり、ワッハッハと笑ったり
その切り替えのポイントのこと(だと思うんだけど)。
それをセリフではなく動きで表す、ということなんだと理解した。

切り替えの「白み」をできるだけ短くしたい。
(って言ってたような気がする)

芝居でもたっぷり間を取ってやりがちだけど体は瞬時に反応する。
その余計な間を取って、しかも複数の人間で同じ瞬間をとらえるのは
とても繊細で大胆な作業だったけど
息が合ったときの快感ときたらそれこそ口では表せないほどだった。

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What's SHIROMI?とポールさんに聞かれて
Uhhhh,BLANK!と答えたけど合っているのかしらん。
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2013年02月08日

カルメンという名の女13

あまり自慢できることじゃないかもしれないけど、
ダメ出しを書き留める習慣があまりない。

もちろん疑問点やカットや追加は書くけど
「ここで見る」とか「もっとこんなふうに」とか
具体的な指示ほどあまりメモしない。

別にダメ出しを軽く受け止めているわけではないけれど、
書いているとダメ出しの本質がわからなくなるというか
書いたことで安心してしまうというか。

とにかくその場で頭にインプットして
できれば動いてみることが多い。

特に今回は小野寺さんのダメ出し自体も日々刻々と変わっていくので
頭と体に叩き込まないと追いつかないというのもあった。

芝居を始める前に、元々ダンスをしていたせいではないだろうか。
振付を受ける場合には予習のしようがないし、
ダメ出しをされても、とにかく覚えて練習するしかない。

誰でもビデオを持っている時代ではなかったから
頼れるものは自分の感覚しかなかった。

さらに遡ってブラバン時代にも
「もっと激しく」とか「楽しく」とかあまり譜面に書かなかった。

tptでもっとも世話になったアッカーマンは
「形容詞は演じられない」と言っていた。
何故「怖いのか」「悲しいのか」「嬉しいのか」常にWHY?と問われた。

「前はこうだったんですけど、いまは・・・」

小野寺さんはそういう説明を嫌った。

目の前で起こっていることに集中し、
なぜそうなるのか、どうすればうまくいくのか
常に問われていたと思う。

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ダメ出し中 photo by Paul Evans
(っていうかダメ出し中に何撮ってるんですか、ポールさん)
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2013年02月07日

カルメンという名の女12

椅子を使わない舞台ってのはあるんだろうか。

まあ、あるかもしれないけど、
芝居でもダンスでもコンサートでも
椅子を使わないことのほうが少ないかもしれない。
何より劇場には「客席」があるし。

テーブルも必要だけどまずは椅子。

「BENT」のグレタは椅子を引きずって登場したし、
「橋からの眺め」ではマルコは椅子を片手で持ち上げてエディを挑発した。

ピランデロの「口に花を持つ男」では死に直面した男が
自分のむなしさをを病院の椅子にたとえて話をしていた。

「カルメン」ではその椅子を
滑らせたり持ち上げたり演者が黒子になって移動させた。

本来「腰掛ける」ためにある椅子を動かすのは
人間の心のよりどころをくすぐったり不安にさせるのかもしれない。

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2013年02月06日

カルメンという名の女11

A面、B面。

稽古のときは壁の両側をそう呼んでいた。

海側、山側と呼び方が変わったことに気づいたのは本番直前だったような気がする。
まあA面B面じゃ味気ないし、お客さんにとってもわかりやすい。

海側、山側。

なんとも神戸らしいネーミングではないか。

個人的には「私」として海側でひとしきりホセとの出会いまでの芝居をしてから、山側に行ってカルメンの化身になり、海側に戻ってこちらのカルメンのケンカを見守ってから兵隊になってカルメンに逃げられ、山側に探しに行ってすぐ海側に戻りホセを捕らえてからまた山側で上官を持ち上げて、海側に戻ってホセを責め立ていったんハケて山側に回って兵隊になり、ダンスパーティをしてからハケ、ロビーでばか騒ぎをしてから山側から海側を突っ切ってハケ、改めて中尉になってカルメンと出会い、山側でホセに殺されて海側に戻り、「私」としてホセとからんでから突然、山賊のダンカイーレに変身して結局ホセに殺されて、山側に転がり込んで写真を撮ってからハケ、もう一度山側でひとしきり踊ってから死んでガルシアとホセの決闘に加わり、知らん顔してハケてからロビーではいりさんに牛のかぶりモノを渡してから2階のギャラリーに上がって闘牛士リュカスに声援を送り、最後は海側で「私」としてホセとカルメンの最期を見守って壁を動かして去って行った。

うーん、改めて整理するとすごいことをやっていたのだなあ。
まったく伝わらないと思うけど。

どうでもいいけどダメ出しのときは最後までA面B面で通していた。

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それにしてもA面B面ってレコードとかカセット世代の発想か。
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2013年02月05日

カルメンという名の女10

何かが生まれる瞬間に立ち会うのは貴重なことだ。

過去にあった面白い話を人に説明してもあまり面白くならないのに似て(?)
振りでも芝居でもそのときそこに居合わせないと
なかなかその空気は伝わらない。

「ただの運動になってしまうとつまらない」

小野寺さんはよくそう言っていた。

覚えたセリフをツラツラ言うだけでは何も伝わらないし、
カウント通りの振付になってしまってもつまらない。

そこに必要な「自分を突き動かす何か」がなければ
形だけで中身がないものになってしまう。

決まったセリフや動きを何度もやるのが役者だが
そのためには毎回新鮮に取り組むほんの小さな最初の「動機」が必要なのだと思う。
最初のドミノをツンと指で押してやるみたいに。

本番前日だろうが、直前だろうが
小野寺さんは細かい変更点を伝えてきた。

時間があれば永遠にやっていられたと思う。

そこには完成を目指しているのと同時に
完成してしまうのを惜しんでいるような空気さえあった。

でもそのおかげで考え続けることができたのだ。

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単なる「運動」にならないように。
posted by Naoki Saitoh at 02:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2013年02月04日

カルメンという名の女9

恋愛禁止。
んなアホな。

それは「食べるな」とか「寝るな」というのと同じだ。
究極の欲求を果たして死んでいったカルメンが聞いたら
鼻で笑うに違いない。

でも「カルメン」の稽古中は
食べなくても平気な体が欲しいと思ったこともあった。

もちろんお腹は空く。
でも食べるのが面倒くさくなるくらい体力を使い果たす毎日だったのだ。

なるべく自炊しようと思ってはいたが、
もう作るのも買って帰るのも面倒になってくる。

「ご飯行く?」と誘われるのを心のどこかで期待している自分がいた。

不思議なことにみんなと食べると急に食欲が湧くのだった。
後半は誰からともなく毎日のように王将に向かうようになった。

「何を食べるか」より「誰と食べるか」なのだ。

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神戸には気になるお店が多かったが結局全部は行かれなかった。
posted by Naoki Saitoh at 21:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2013年02月03日

カルメンという名の女8

正直、原作を読んでいなかった。

完全に油断していたので
「原作読まれた方もいると思いますが」
という小野寺さんの言葉にはドキッとした。

年末の最後の稽古では無理やり通してみたので
なんとなく「ほう、こういう話なのか」と全体像はつかめたが、
やはり一度読んでおいたほうがいいだろうと
年末年始の稽古休みに読んでみた。

さらに生駒さんに映画の「カルメン」のDVDを借りて
(ちょっとエッチやで←生駒さん談)
頭の中に点在していたイメージが一気につながった。

tptでロルカの「血の婚礼」をやったとき、
あのラテンの気質を頭で理解するのは不可能だと感じたことを思いだした。
言葉にならない「血」が踊りや歌や詩になっているんではないかと。

演者にとって、原作を読み込むことがいいことなのかどうか、
いつどのタイミングで読むのがいいのか、
映像作品を観たほうがいいのかどうか、
そういうこともあるけれど、
今回はそんな理屈を飛び越えて頭にスーッと入ってきた。

数字の順を追って点をつないでいくと絵が浮かび上がる
あのお絵かきみたいに。

まさにひとりひとりがあらゆるシーンで「点」となり、
お客さんはそれを自由につなぐ楽しさがあったのではないだろうかと思う。

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posted by Naoki Saitoh at 00:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2013年02月02日

カルメンという名の女7

これだけ長い間、東京を離れて舞台のために稽古したのは久しぶりだった。
(アロンの香港コンサートとかベティのマヨネーズとはまた違うけど)

キャストの半数は関東からの参加で半数は大阪や京都から通ってきていた。
中には片道2時間なんて人も。

ただでさえ終わったら脱力の毎日。
たとえばこれが東京での公演で、自宅からの通いだったとしたら
往復4時間の通勤(?)に耐えられただろうか。

彼らに比べたら時間的には余裕があったのは確かだ。
ただ、あったらあったで使ってしまうのが時間。

ある意味、小野寺さんもそうだった。

時間を忘れて稽古にのめり込む姿勢は
スムースクリミナルのマイケルも真っ青だった。

どうしたら面白くなるか、さらにいいものができるか、
休憩時間でさえも頭をフル回転させているように見えた。

まさに職人のようだった。

ここをもう1ミリ削ろうとか、装飾を彫ろうとか、材質はこれにしようとか
あるいはやはり最初から作りなおそう、とか。

「僕は演出家だ、言ったことを体現してくれるのが役者でしょ」

そんな言葉をボールペンと一緒に言い放った人に出会ったこともある。

まあ演出哲学はそれぞれかもしれないけど
休憩を終えて階段を駆け上がってくる小野寺さんを見ると
この人の信じているものを一緒に追ってみよう、

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そう思える刺激的な日々だった。
posted by Naoki Saitoh at 23:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

カルメンという名の女6

どこの現場に行っても分類される。
年齢、性別、特技、経歴、有名無名、
先入観や偏見、思い込みが意識的無意識的に人をカテゴライズする。

この人は役者だから、ダンサーだから、パントマイマーだから、新人だから、売れてるから・・・

でも、自分で得意と思っているものがそうでもなく、
意識していない意外な可能性を秘めていることもある。

自分で「できない」と思い込んで本当に「できなくなってしまう」ことは多い。

小野寺さんは誰がなんのスペシャリストだろうとあらゆる可能性を探った。

普段セリフを発することのない「ダンサー」も喋らせたし、
ダンスはちょっと・・・という「役者」にも踊らせた。

自分は役者だ、ダンサーだ。
そんなこだわりは大したものではないように感じた。

ワークショップのときから感じていた、
自分の「底」に沈殿したものをかき混ぜられた感覚はこれだったのだ。

「あらゆる道を通ったほうが、たとえ最終的にその人の得意なことに特化されていくことになっても、ダンスならダンス、芝居なら芝居に必ずプラスになる」

小野寺さんはそう言っていた

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ような気がする。
飲みの席だったので正確には覚えていないけど。
posted by Naoki Saitoh at 18:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2013年02月01日

カルメンという名の女5

ステージ中央に壁がある。

最初に聞いたときにはどんなものなのか想像できなかった。

「だからね、劇場の真ん中がステージで真ん中に壁があるわけ、で、演者は両側を行ったり来たりしてね、そうそう、2つのカルメンが同時に進行するわけよ・・・うんうん、だからお客さんは片側しか見られないんだけど、壁の穴からチラッと見えたり向こう側の声が聞こえてきたりするわけ、まあできたら2回観てほしいなあ。っていうか片側観たら反対側も気になるよ」

と人には説明していたけれど、
それを自分で把握するまでは長い時間がかかった。

初めは台本もなく、ピースやシーン、振りを生み出す毎日。
こちら側のシーンの秒数を測って反対側のピースをその長さに合わせる、
足したり引いたりつないだり、
役が変わったり代わったり替わったり、
読んだり書いたり数えたり、飛んだり跳ねたり歌ったり(←葉山小校歌)

・・・

気がつくと少しずづ形が見えてくる小野寺マジック。
年内はそんなに詰めて稽古しないといっていたけど気づけばガチだった小野寺トリック。

客として観たい!
自分で演じていてそう思えるのはいいことだと思う。

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まあ観たら観たでくやしくなって
「やりたい!」って思うのはわかってるんだけど。
posted by Naoki Saitoh at 21:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記